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椋山城跡(むくやまじょうあと)

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年3月31日更新

市指定史跡 昭和63年(1988年)6月24日指定 

 この山城は,標高170mの椋山の山頂を本丸とし,北・西・南・南東に延びる15の郭と4本の空掘で構成された中世の山城である。小規模であるが各郭の保存状況は良く,福山地方の代表的な山城の一つである。
 本丸一帯より採集した土師質土器,青磁破片,古銭(天聖元宝)などは,室町時代後半のものである。
 椋山城の歴史については,この城が服部を領した桑原氏の本城であったことは『西備名区』,『福山志料』,『備後古城記』などに書かれているが,築城の時期については,詳しいことは不明である。石垣は残存しておらず,築城当初から構築しなかったものと思われる。

 天文10年(1541年)大内義隆が出雲へ出発の時,桑原越中守通兼が従軍し,服部へ帰陣したことが諸書に記されており,「平川家文書」(『岡山県古文書集』第3所収)の天文10年2月2日付の実信感状により,この城がこの地方の一勢力の拠点であったことがわかる。
 これらの史料により,天文年間にこの城がもっとも栄え,山城としての整備もなされたものと推察できる。
 その後,桑原氏は毛利家の家臣として働き,中世の末(天正頃)この城は廃城となっている。

所 在 地駅家町助元
構造・年代室町時代

椋山城跡