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廉塾ならびに菅茶山旧宅(れんじゅくならびにかんちゃざんきゅうたく)

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年3月31日更新

特別史跡 昭和28年(1953年)3月31日指定

 菅茶山(1748~1827年)は19歳の時,京都の那波魯道に学び,天明初年(1781年)郷里にて塾を開いた。寛政8年(1796年)福山藩校の分校となり,公式には神辺学問所と呼ばれたが,一般には廉塾と称した。茶山は朱子学者で詩文に卓越し,『福山志料』の編集を行った。
 塾生は神辺・福山を中心に遠くは四国・九州・奥羽にまで及び,頼山陽も塾頭の一人であった。今日,講堂・寮舎が茶山の居宅とともによく旧観を維持し,郷塾としては数少ない遺例である。

所 在 地神辺町川北 個人所有
構造・年代江戸時代後期 

廉塾