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駅家北小学校 ~校歌作詞者 熊谷 本郷さん 講演 ・ 感謝状贈呈式~

印刷用ページを表示する 掲載日:2021年1月8日更新

 2月1日(月曜日),総合的な学習の時間に校歌作詞者の熊谷 本郷さんをお招きし,3年生(72人)と6年生(72人)が歌詞に込めた思いなどを聞き,校歌に対する関心と理解を深めました。
 授業の後,熊谷さんと校章の作成者である桑原 正和さんに,市からの感謝状と6年生児童代表からのお礼のメッセージを贈りました。(本来であれば開校式に実施する予定でしたが,新型コロナウイルス感染防止のため規模を縮小して開催したことから,改めて企画しました。)

校歌作詞者 熊谷 本郷さん 講演

日時・場所

2020年(令和2年)12月1日(月曜日) 9時40分~10時10分

駅家北小学校体育館

講師

 駅家北小学校 校歌作詞者 熊谷 本郷さん (児童文学作家/童謡の作詞家,服部地域に在住)

  【主な作品】
  コスモスの花(作詞) ※第1回鳥取県「ふるさと」音楽賞受賞
  ホタルの里服部(作詞)
  善市じいさんのふしぎな手(著書)
  泣くな,東太(著書)  他

内容

1 講師講話 

 一昨年,校名が駅家北小学校に決まった時,佐藤自治会連合会長が私の家に来てくださいまして「おっちゃん,学校の名前が決まったから校歌を作ってよ」と言われました。しかし,私は校歌を作ったことがないのでお断りしました。宣山ひかり保育園の園歌は作ったことがありましたが,校歌を作ったことはありませんでした。しばらくしたら,今度は子どもさんが親御さんと一緒に来られて「おじちゃんが作った歌ならみんな喜んで歌うから,作ってくださいよ」って言われました。子どものお願いにはおじちゃん,逆らえません。もし,正式にお願いされたら作ろうと思っておりましたら,年末に福山市の方がお願いに来られたので,作詞をさせていただくことにしました。
 去年1月初めに校長先生に「運動場に立たせてください」とお願いして,許可をいただきました。運動場に立って,周りを見渡しました。とんどの支度をしておられました。とんどに火をつけて,燃えて煙がまっすぐあがるのをイメージしました。そして西を見ると,太陽がおうちの屋根に沈んでいっていました。服部小学校では山から太陽が出て,山に沈んでいきます。駅家北小学校の空は全部,宇宙です。山がないんです。北を見ましたら蛇円山の峰がちょっと見えます。どう書けばいいんだろう。2回も3回もこの小学校に来ました。目を閉じて,静かにしておりましたら,どこからか「1番は宇宙を,2番は大地を,3番は生きた命を」と声が聞こえてきました。誰かわかりません。私の亡くなったおじいちゃんかおばあちゃんかもしれない,神様かもしれない,服部のホタルのささやきかもしれない。声が聞こえて来たんです。声が聞こえてすぐ,私は常に持っている手帳に書きました。その後も,何度も小学校にお邪魔しまして,静かに目を閉じて,詞がおりてくるのを待ちました。
 1番の詞は,この駅家北小学校の卒業生が宇宙へ行くというような,そんな大きな夢を持って巣立ち,本当に宇宙に行かれる方がいらっしゃったらいいなと,そんな思いで書きました。
 2番は大地。服部大池から水が流れて稲ができます。花が咲きます。木が育ち,実がなります。私たちもここで生きております。色々な夢を持って,いつか自分の素晴らしい花を咲かせてください。感動の実現をしてください。いっぱいつらいこともあるでしょうが,負けずに突き進んでいただきたいと思います。日頃の努力,それが実を結ぶ,そういう思いを込めて2番を書きました。
 3番は,こうして今,私が生きておりますが,私を産んでくれたお父さんお母さんがいます。お父さんお母さんの上には,おじいちゃんとおばあちゃんがいます。そうして今私がいるんです。皆さんにも,お母さんお父さん,そしておじいちゃんおばあちゃんがおられます。そして今,皆さんがここにおられるんです。チョコレートがおいしいのも,シュークリームがおいしいのも,お父さんお母さんが生んでくれたからです。これは,おじいちゃんおばあちゃんからぐっと遡って縄文時代,弥生時代から,もう私たちの先祖は生きていたんです。それからずっと続いてきてみんな今生きているんです。戦争がありました,広島に原爆が落ちました,福山にも空襲がありました。たくさんの人が死んでおります。でも,あなたたちの御先祖は生きていたんです。そうして今皆さんが生きている。戦争でたくさんの人が死にました。平和じゃなくてはいけないんです。これからもっと平和にしなくてはならない。この命を粗末にしてはいけません。どんなにつらいことがあっても死んではいけません。どんなに苦しいことがあっても生きてください。おじさんも白髪になりました。白髪になっても,今でもチョコレートはおいしいです。皆さん,白髪になるまで頑張って,おいしいものを食べてください。途中で死のうなんて考えてはだめです。生き抜いてくださいね。そんな思いで3番を書きました。
 私は,作家になろうとも,作詞家になろうとも考えておりませんでした。今から75年前に原爆が落ちて,戦争が終わりました。この時,私は広島におらず,原爆にあっていません。でも,原爆が落ちた3年後に私は広島市の小学校に入学しました。その頃,私の父が戦争の影響で病気になりました。母は父の看病に付きっきりになり,家族は食べるものがありませんでした。山で実や草を採って,鍋で炊いて食べていました。学校に行くふりをして家を出ては,山で木の実を摘む生活を続け,一学期が終わりました。お母さんが,勉強せんといけんといって,お母さんの弟にあたるおじさんの家に私一人預けられることになりました。それが,服部です。二学期から服部の小学校に転校することになり,夏の終わり,お母さんと別れる夜,お母さんが膝の上で耳掃除をしてくれました。「お父さんの病気が治ったらね。すぐに迎えに行くから。それまで辛抱するのよ」と言ってくれました。でも,お父さんの病状では,とても2か月3か月では治らないことは分かっていました。お母さんの膝のぬくもりを忘れない,このお母さんのぬくもりを忘れないと,そう思いながらお母さんの膝の上にいました。別れの時,お母さんは汽車の窓から私の手をつかんで「必ず迎えに行くから。辛抱するのよ」と何度も言っていました。私はただうなずいていました。でも,汽車が動き出した途端,お母さんが急に泣き始めたんです。いっぱい涙を流して,ホームに座り込んで,弟と一緒に泣きながら私を見送ってくれました。私は1年生でしたが,今でもはっきり覚えています。「お母さんの泣いた顔を見たくない」「お母さんの喜ぶ顔を見たい」「お母さんの喜ぶことをできる子になりたい」そう誓ったことを覚えています。
 おじさんの家でどうやったらおいてもらえるだろう,「はよ広島に帰れ」と言われはしないかと思って,一生懸命おじさんおばさんが喜ぶことを自分で考えました。そして,毎朝,縁側の掃除をして学校に行くことにしました。おじさんおばさんは喜んでくれました。冬になると手が冷たくて,何度もやめようと思いましたが,お母さんが迎えに来た時に「毎日縁側を雑巾がけして学校行ったで」と言ったら,お母さんはきっと喜んでくれる,喜ぶ顔が見られると思って一生懸命続けました。一年が経ちました。まだお母さんは迎えに来ません。でも,その思いで掃除を続けました。
 お母さんとまた一緒に暮らし始めたのは,10年後でした。10年間お母さんと暮らせませんでした。寂しかったです。お父さんお母さんと一緒に歩く同級生がうらやましくていつも風呂の中で泣いていました。でも,つらい時,苦しい時,悔しい時,私は白い紙いっぱいに思いを書いていました。「母さん迎えに来てよ」「僕,頑張っているよ。だから迎えに来てよ」と書いていました。書いていると,流れていた涙が不思議と止まるんです。書くことはとってもいい事です。つらい時,悔しい時,悲しい時,苦しい時,書いてください。手帳へ,ノートへ書いてください。心が静かになります。どうぞ,挫けず,負けず,諦めず,これから生きてください。

熊谷 本郷さん 講演の様子

講演の様子 講演の様子

児童の様子 児童の様子

2 校歌斉唱

 熊谷さんの校歌に込めた思いを胸に刻み,感謝を込めて校歌を斉唱しました。

校歌斉唱 児童の様子

校歌斉唱 校歌を聞く熊谷さん

 

感謝状贈呈式

日時・場所

2020年(令和2年)12月1日(月曜日) 10時10分~10時30分

駅家北小学校体育館

感謝状の贈呈を受ける者

 駅家北小学校 校歌作詞者 熊谷 本郷 さん

 駅家北小学校 校章作成者 桑原 正和 さん (駅家北学区駅家東町内会連合会会長)

内容

1 感謝状贈呈

【熊谷 本郷さん】

感謝状贈呈 感謝状贈呈

【桑原 正和さん】

感謝状贈呈 感謝状贈呈

2 児童からの感謝のメッセージ

【熊谷 本郷さんへ】

 熊谷本郷さん,私たち駅家北小学校の児童のために,想いを込めた校歌を作詞してくださり,ありがとうございます。どのような想いが込められてあるかを知って,私は前よりももっと駅家北小学校の校歌が好きになりました。命を大切に,生きることの大切さ,強い身体と精神をつくることの大切さを改めて感じました。そして,改めて校歌を見ると,とても勇気が出て,心強いです。私は特に最後の「平和な未来を築こうよ」のところが一番好きです。歌詞全体が大切なことで好きだけど,やっぱりみんなで助け合って,幸せに,平和に生きるのが一番良いと思います。
 何か落ち込んだり,元気を出したい時にこの校歌を歌ってみます。とても元気づけられるので良い事があった時も,思い出してみることにします。
 以前,熊谷さんが書いてくださった文書を読んでから,生きることを大切にしている人だなと思っていました。私は,両親,おじいちゃんおばあちゃん,ひいおじいちゃんひいおばあちゃんよりももっと前の御先祖が生きていたから私が今いるんだということを考えることがたまにあって,今日熊谷さんのお話を聞いてやっぱりそうなんだと思いました。自分でそれを途絶えさせるのはもったいないし,つないでいきたいと思ったので,これからも身体と精神を強くしていきたいと思いました。ありがとうございました。

児童からのメッセージ 児童からのメッセージ

【桑原 正和さんへ】

 桑原会長様,駅家北小学校の校章を考えてくださり,ありがとうございました。私は特にまわりの桜の形が気に入っています。これを見ると,服部大池や,駅家北小学校の校庭の桜が思い浮かんでとてもきれいだし,私は花の中で桜が好きだからです。あと校章の色も好きです。ピンクと緑が主に使われていて,自然の色だし,駅家町は緑が多いので,自分が住んでいる地域を思い浮かべることができるからです。だからこの校章になってうれしいです。私たち駅家北小学校のみんなのためにたくさんの方が協力してくださって,本当に感謝しています。そして,本当にこの校章になってうれしいです。だからこの校章の駅家北小学校最初の卒業生として,あと少しの日を一日一日大切にして過ごしていきたいと思います。本当に素敵な校章を考えてくださりありがとうございました。

児童からのメッセージ 児童からのメッセージ 

3 熊谷さん,桑原さんあいさつ

【熊谷 本郷さん】

 感謝状をいただきましてありがとうございます。一生懸命書かせてもらいました。つらい時,苦しい時,この校歌を思い出して歌って頑張るというお言葉をいただきました。本当に光栄です。皆さんどうか元気で,頑張って花を咲かせてください。ありがとうございました。

あいさつ あいさつ

【桑原 正和さん】

 私は,駅家北小学校の開校準備委員会の委員長として,いろいろと地域の皆さん,児童の皆さんとともに,長い歴史のある服部小学校,駅家東小学校の両校を1つの新しい学校にするためのアイデアをいただいてきました。そして,公募による校名,校章の選考を行いました。開校準備委員会の委員長ではありましたけれども,私自身もなにか残るものを作りたいと思い,一生懸命考えました。校章の桜の色は駅家北小学校にも,郷土の服部大池公園にも咲く桜の桃色です。駅家北小学校を表す「駅北」の文字の周りはこの地域の自然の豊かさを表す新緑の緑です。また,この地域に古代山陽道の駅があったことを表す駅鈴を描いております。将来に向けてこの駅家北小学校と両地域が一緒になって発展するようにという思いを込めて作りました。今日は,感謝状をいただきまして、誠にありがとうございました。

あいさつ あいさつ

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