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鞆港周辺の歴史(江戸時代中期)

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年12月2日更新

江戸時代中期の鞆町の海岸

宝永年間絵図

 今日,古い鞆の全貌を知らせる史料として残っているものは,沼名前神社蔵の古図(宝永年間絵図) だけです。
これは薄美濃紙に着色した図で,神社・寺院・役所・町家・畑などが敷地別に塗り分けられていて,描かれた当時の町の構図がわかります。
 この図が作られた時期は,貞享から元禄初年に建てられた「御茶屋」の敷地(図中(1))や,元禄頃行われた西町の築出(図中(2))が記載されている一方,寛政2 年(1790年)から始まった大可島と淀姫下の波止や,寛政3年(1791年)に行われた中村家南の築出は記載されていないことから,江戸時代の中期,元禄~宝永年間(1688年~1710年頃)と推測されます。
 絵図には,平村から江之浦海岸(渡守神社跡)までは砂浜の海岸が描かれており,江之浦から大可島まで,また大可島の北から鍛治町までの海岸は石垣が積まれていて,かなり築出が行われていたようです。