ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 担当部署で探す > 港湾河川課 > 鞆港周辺の歴史(江戸時代以前)

本文

鞆港周辺の歴史(江戸時代以前)

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年12月2日更新

江戸時代以前の鞆町の海岸

古い海岸線の推定

 大可島は,鎌倉時代の「とはずがたり」に「なにとなく,賑ははしきやどとみゆるに,たいかしまとて,はなれたる小島あり」とあり,かつては鞆港を東側から囲む島でした。江戸時代以前の鞆町の古い地図は,現存していないため推測になりますが,干潮時に砂州づたいに陸続きになったと考えられています。
 
 道越から大可島への曲がりくねった道路が海岸沿いの道路とされ,また,江之浦から西町の胡神社あたりへ東西の細い道が,古い海岸線に沿っていたと考えられています。
 関ヶ原の戦いの後,安芸,備後に入国した福島正則が,鞆城を再築した時に,埋立てて陸続きにしたとされています。