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歴史的港湾施設(焚場)
印刷用ページを表示する 掲載日:2013年12月2日更新
木造船は,フジツボやカキなどの貝類や船虫から船体を守るため,船底を焼いて乾燥させる必要があります。これを,「たでる」といい,そのたでる場所を「焚場」と呼びました。
また,焚場は,長い航海によって痛んだ船体を修理する場所でもありました。
鞆の港は瀬戸内の中央に位置し,波がおだやかで干満の差が大きいという地理的条件に加え,碇や船釘の特産地であり,船大工の技術者も多く,木造船の修理には最適の土地柄でした。
鞆港の焚場は,もともと砂場や岩盤を削って利用していましたが,他所の港が設備を整えることによって港の衰退が懸念され,寛政3年(1791年)に石垣で補強するなど,大型船にも対応できる工事が始まりました。
古文書によると,焚場は,幅100間(約180m)と記録されています。
その後,文化文政の頃(1804年~1830年)の記録には,大型船が何隻も焚場に入っていたと記されています。
鞆港の西側には,現在も焚場という地名が残っています。