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小松安弘コレクションについて

印刷用ページを表示する 掲載日:2020年9月23日更新

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小松安弘コレクションは、福山市に本社を置く株式会社エフピコの創業者で、福山市名誉市民である故小松安弘氏が収集した国宝7口、重要文化財6口、特別重要刀剣1口からなる全14口の日本刀のコレクションです。小松安弘氏のご遺志を継いだ小松啓子氏から2018年(平成30年)11月に福山市にご寄贈いただきました。​

 

             故小松安弘氏

​故小松安弘氏

小松安弘と日本刀

主人と刀剣との出会いは2002年(平成14年)、食品容器の競合会社が会社更生法の申請をされ、エフピコがスポンサーとなり、その会社を引受けたところ、保有していた東京・巣鴨にあった日本刀装具美術館が含まれていました。

しかし、更生計画の一環として保有資産を処分することとなりましたが、何分、国宝7点・重要文化財6点は心情的にも処分することが出来ないと申し、自分の資産として譲り受けました。
2007年(平成19年)より、福山市の観光振興にお役に立てばと、ふくやま美術館に寄託し活用して頂いておりました。

2017年(平成29年)に追加で取得・寄託した福山藩主阿部正弘伝来の1点(特別重要刀剣)と合わせ全14点をふくやま美術館で永続的に活用して欲しいという思いから寄付を申し出ました。

主人は生前、福山で生まれた会社だから、何らかの形で地域に貢献したいとの思いから、地元福山の高校生・広島県内の高等専門学校生・大学生などに対して奨学金を支給するなど、また、福山市立大学の施設整備に寄付をするなど地域の教育文化振興に力を入れておりました。

主人は生前、刀剣コレクションも美術館に譲る意向を持っており、福山市に役立てて頂くことを望んでおりました。
このたび、福山市の財産として美術館にお任せすることができ、主人も喜び、安心していることと思います。
                                                                                                                                       

  小松 啓子


小松啓子氏におかれましては、福山市名誉市民である小松安弘氏のご遺志を継いで全国的にも大変貴重な日本刀のコレクション全てを本市に託されました。これは、本市の文化行政の充実と伸展に対する深い理解と、小松安弘氏共々、福山への郷土愛からのご寄贈であると、心より感謝しております。

ご寄贈いただいたコレクションは、本市の貴重な財産としてふくやま美術館において広く公開し、特別展や広報をとおして備後圏域のさらなる観光振興につなげ、多くの皆さまにコレクションの魅力を身近に感じていただきたいと思います。

また、未来を担う子ども達には、「10歳の君へ ようこそ美術館プロジェクト」をはじめとする鑑賞の機会を通じて、優れた美術品の良さを学び、郷土愛をはぐくんでもらうことで、末永く小松氏の思いに応えていきたいと考えております。

 

福山市長 枝広直幹


 

現在、日本には約250万点もの日本刀が残っているとされていますが、国宝に指定されている刀剣はそのうちの120点ほどです。全国の博物館等が所蔵する国宝に指定されている刀剣の数でいえば、東京国立博物館の19口が日本で最大のコレクションとなっていますが、今回の寄贈により当館はそれに次ぐ7口の国宝の刀剣を所蔵することになりました。


また、全14口の小松安弘コレクションの中には、徳川家ゆかりの太刀や、福山藩主阿部家に伝来した刀も含まれています。個人の収集品としての質の高さとともに、歴史的に本市に由来のある刀剣が福山の地に伝えられたことに大きな価値があると考えており、全国に誇るべき貴重なコレクションといえるでしょう。


小松安弘氏は、福山市民の方々に最高の日本刀を鑑賞していただきたい、そしてそれを活用することで日本中の愛好家に福山へ来てもらいたいとの思いを抱いておられました。当館といたしましても、貴重な小松安弘コレクションを通じて、多くの方々に日本刀の魅力を伝えられることを大変うれしく思っております。

ふくやま美術館館長 原田 一敏


小松安弘コレクション

 

重要文化財《太刀 銘国清》 重要文化財《太刀 銘国清》

重要文化財《太刀 銘国清》〈たち めい くにきよ〉
鎌倉時代(13世紀)
刃長79.4cm 茎長19.4cm

粟田口派の始祖、国家には、国友、久国、国安、国清、有国、国綱の6人の息子がおり、国清はその四男にあたる。

この太刀は、身幅広めで、わずかに磨上げているが腰反りがやや高く、鍛えは小板目つみ、地沸がよくついて細かな地景が入る。刃文は小乱れ、小丁子、小互の目が交じって足、葉入り、小沸がよくついて、金筋、砂流しがかかる。国清の作品はきわめて少なく、本作のほかには出雲松平家伝来の太刀が一口あるが、本作とは銘の書体が異なっている。

1681年(天和元年)4月、出羽秋田三代藩主佐竹義処が、将軍徳川綱吉へ帰国の挨拶をした際に賜ったもので、同家に明治時代まで伝わった。

 


 
重要文化財《刀 無銘 伝来国光》  

重要文化財《刀 無銘 伝来国光》〈かたな むめい でん らいくにみつ〉
鎌倉時代(14世紀) 刃長70.0cm
茎長15.4cm

来国光は来国俊の子と伝え、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍したことが知られる。作風は、始祖来国行以来の伝統的な直刃のものと、相州物の影響を受けたと思わせる沸の強いのたれに互の目を交えた乱刃のものがある。

この刀は、直刃を主体とした来派伝統の作風であるが、国行や国俊よりもさらに沸が強く、刃中の足は太く、葉も大きい。また鍛えも小板目ではあるが杢目が交じって肌が立っており、地景も目立っている。鞘書に「長弐尺参寸壱分磨上無銘 国光 代金七拾枚折紙有 元禄十三庚辰年九月六日殿様御気色御快気以後今日初而 御成ニ付為御祝儀御拝領」とあり、1700年(元禄13年)9月6日、五代将軍徳川綱吉が、側用人であった柳沢保明(吉保)の快気祝として下賜したことが分かる。

 


 
重要文化財《短刀 銘光包》 重要文化財《短刀 銘光包》

重要文化財《短刀 銘光包》〈たんとう めい  みつかね〉
鎌倉時代(13-14世紀)
刃長26.4cm 茎長9.5cm

光包は来派の国俊の弟子と伝えるが、『古今銘尽』によれば備前長船長光の弟子であったとされる。光包の在銘作は極めて少なく、本作のほか5点ほどが知られるにすぎない。

この短刀は、研ぎによって重ねを減じているが、本来は重ねが厚く、鍛え、刃文ともに来国俊風の作風を示している。帽子が大丸となって、しかも刃寄りに倒れていることは来国俊には見られず、これが光包の特徴とされる。仙台伊達家に伝来したもので、伊達家の刀剣台帳である『剣槍秘録』(寛政元年編)に、1718年(享保3年)4月15日、仙台五代藩主伊達吉村が、八代将軍徳川吉宗へ帰国の挨拶をした際に拝領したと記している。同書によれば、白鮫柄黒漆塗鞘に後藤宗乗作の金這龍目貫、後藤乗真作の赤銅魚子地金這龍小柄のついた拵が付属していた。

 


 
国宝《短刀 銘国光》(名物会津新藤五) 国宝《短刀 銘国光》(名物会津新藤五)

国宝《短刀 銘国光》(名物会津新藤五)〈たんとう めい くにみつ(めいぶつ あいづしんとうご)〉
鎌倉時代(13世紀)
刃長25.4cm 茎長10.9cm

新藤五国光は、鎌倉鍛冶の事実上の祖に位置づけられる刀工で、その弟子の行光、正宗が、相州物独自の地刃の沸強い作風を展開していくようになる。国光の太刀は極めて少なく、そのほとんどが短刀である。この短刀は、国光の中ではやや大振りで、鍛えは板目に地沸が厚くつき、太く長い地景が縦横に入って、いかにも地鉄が強い。また刃文は中直刃、下半は匂口が深く沸が刃中までよくつき、砂流し、金筋が細かく全体に入り、上半は匂口がやや締まっている。

銘の由来は会津を領していた蒲生氏郷が所持していたことによる。その後、前田利常に渡り、さらに徳川綱吉に献上された。また、鞘書から1707年(宝永4年)、徳川家宣の子の家千代の御七夜に、綱吉から贈られたことがわかる。

 


 

重要文化財《脇指 朱銘貞宗/本阿(花押)》(名物朱判貞宗)

重要文化財《脇指 朱銘貞宗/本阿(花押)》(名物朱判貞宗)

重要文化財《脇指 朱銘貞宗/本阿(花押)》(名物朱判貞宗)

重要文化財《脇指 朱銘貞宗/本阿(花押)》(名物朱判貞宗)〈わきざし しゅめい さだむね/ほんあ(めいぶつ しゅはん さだむね)〉
南北朝時代(14世紀)
刃長33.8cm 茎長10.0cm

貞宗は、相州鎌倉の正宗の実子、養子、あるいは弟子と伝えており、作風、年代からみて正宗の後継者であることは異論がない。正宗によって完成された硬軟の鋼を交え、沸を強調した力強い作風は、貞宗になると穏やかなものへと変化していく。貞宗の短刀には、本作のような一尺を越える脇指が多い。

本作は、身幅が広く、浅い反りがあり、南北朝時代の典型的な作風を示している。鍛えは板目肌、地沸厚くつき、太めで大模様の地景がしきりに入っており、刃文はのたれ調に互の目が交じって、物打ちの刃幅が広く刃中の変化に富み、砂流し、金筋が目立つ。「朱判貞宗」の名は、茎の朱銘に由来し、銘の色に合わせたかのような変塗鞘合口腰刀拵が付属する。

 


 

国宝《太刀 銘正恒》

国宝《太刀 銘正恒》

国宝《太刀 銘正恒》

国宝《太刀 銘正恒》〈たち めい まさつね〉
平安時代(12世紀)
刃長77.6cm 茎長19.0cm

正恒は、備前鍛冶のなかでも最古の、古備前と呼ばれる刀工群を代表する刀工である。正恒の作品は古備前では在銘作が最も多く残っているが、その銘の書体を見ると少なくとも五様ほどあることが認められる。それらのなかでも、本作のような正恒の銘が多く、中直刃の刃文を破綻なく焼いた優品が多い。

本作は腰反り高く踏ん張りの強い堂々とした太刀で、現存する正恒ではその姿が最も美しい。鍛えは小板目で地斑映りが立ち、刃文は小乱れに小互の目、小丁子がまじって沸がよくつき、やや太めの足、葉がしきりに入り、典型的な作風を示している。

阿波徳島藩主蜂須賀家に伝来し、現在は梨子地桐紋蒔絵糸巻太刀拵が付属する。

 


 

国宝《太刀 銘吉房》
国宝《太刀 銘吉房》

国宝《太刀 銘吉房》

国宝《太刀 銘吉房》〈たち めい よしふさ〉 
鎌倉時代(13世紀) 
刃長73.9cm 茎長20.8cm

吉房は、備前長船に隣接する福岡庄(現在の岡山県瀬戸内市長船町)に居住した福岡一文字派の刀工である。鎌倉時代初期の福岡一文字派は、古備前鍛冶と同様の直刃を主調として小乱れ、小丁子を交えた地味な作風を展開したが、鎌倉時代中期から華やかな丁子乱れの刃文を焼くようになる。その代表的な刀工が吉房と則房、助真である。

本作は、生ぶ茎で、当初の豪壮な姿をよく残しており、袋丁子、重花丁子の刃文も破綻がなく、同銘中でも際立った出来映えを示している。徳川将軍家に伝来した一口で、1676年(延宝4年)、甲府の徳川綱豊(のちの六代将軍家宣)の元服に際し、四代将軍家綱が贈ったものであることが鞘書から分かる。黒塗打刀拵が付属する。

 


 
国宝《太刀 銘則房》 国宝《太刀 銘則房》

国宝《太刀 銘則房》〈たち めい のりふさ〉
鎌倉時代(13世紀)
刃長77.4cm 茎長22.3cm

則房は、福岡一文字派の刀工で、備前福岡(現在の岡山県瀬戸内市長船町)から備中片山に移住したことにより、片山一文字と呼ばれている。吉房、助真とともに、一文字派ではもっとも華やかな大丁子乱れを焼く刀工として名高い。

本作は、四寸ほど磨上げられているが、かつては三尺(約90cm)近い長大な太刀であった。それでも反りが高く、身幅広く、猪首鋒となり、堂々とした太刀姿を示している。鍛えは小板目、乱れ映りが立ち、刃文は大丁子に重花丁子が交じって足、葉よく入り、所々に小沸がつく。

1707年(宝永4年)7月11日、徳川家宣の子、家千代の誕生を祝って五代将軍綱吉が贈ったもので、徳川将軍家に長く伝来した。会津新藤五もこの時に綱吉から贈られている。

 


 

国宝《太刀 銘国宗》

国宝《太刀 銘国宗》

国宝《太刀 銘国宗》

国宝《太刀 銘国宗》〈たち めい くにむね〉
鎌倉時代(13世紀)
刃長72.7cm 茎長20.0cm

国宗は、京の粟田口国綱、備前助真とともに鎌倉に下向し、鎌倉鍛冶の礎を築いたとされる刀工である。『観智院本銘尽』は、国宗を新藤五国光の師とする系図を掲げているが、現存作を見る限り、丁子乱れを主調とした乱れ刃がほとんどで、直接的な影響は国光には見られない。

本作は、二寸ほど磨上げられてはいるが、身幅広く、中鋒がやや延びた堂々とした姿の太刀である。鍛えは板目がやや肌立ち、乱れ映りが立つ。刃文は大丁子に小丁子が交じり、ふっくらと頭の丸い大丁子が目立つなど、初代国宗の特徴を顕著に示すものである。初代の作と思われる国宝の太刀のなかでも、特に華やかな刃文を焼いており、国宗の代表作に位置づけられる一口といえよう。黒塗打刀拵が付属する。

 


 
重要文化財《太刀 銘備州長船兼光/延文三年二月日》 重要文化財《太刀 銘備州長船兼光/延文三年二月日》

重要文化財《太刀 銘備州長船兼光/延文三年二月日》〈たち めい びしゅう おさふねかねみつ/えんぶんさんねんにがつひ〉
南北朝時代 延文3年(1358)
刃長88.8cm 茎長26.2cm

兼光は長船派の景光の子で、始祖光忠から長光、景光、兼光とつづく正系の四代目にあたる。年号を記した兼光の作品は、1322年(元亨2年)を最古に、1361年(延文6年)まで残っている。初期の作品は景光風の片落ち互の目や互の目に丁子を交えた刃文が多く、康永、貞和頃からのたれの刃文が目立つようになる。とくに晩年にあたる延文年間は、この太刀のような三尺(約90cm)におよぶ大太刀が流行するが、兼光の作では、ほとんどが大のたれであり、このような純粋な直刃は珍しい。

上杉家伝来の一口で、同家の刀剣台帳の乾第三拾六号に該当する。

 


 
重要文化財《太刀 銘備前国長船盛景》   重要文化財《太刀 銘備前国長船盛景》

重要文化財《太刀 銘備前国住長船盛景》〈たち めい びぜんのくにじゅう おさふねもりかげ〉
南北朝時代(14世紀)
刃長74.2cm 茎長18.8cm

盛景は、備前では長船派と大宮派に存在する。かつては大宮派と認められる盛景の作が明らかでなかったため、この作も含めて、「備前国住長船」と銘がありながら、大宮派とされてきた。この太刀の銘は、兼光系とされてきた長船義景や、それより一世代前の長光の弟子と伝える近景の銘と景の字の書風、また銘を切る鏨使いに逆鏨をいれるなど共通する点が多く、現在では長船派でも近景系であるとの説が有力である。盛景の年号を記した作品では、1357年(延文2年)が最も古く、1390年(康応2年)にまで及んでおり、その間初二代が存在していたとみられる。この太刀は、身幅広く、大鋒となった造込で、延文を頂点とする最も長大、豪壮な姿の時期のものと思われ、盛景初代の作としてよいであろう。上野国館林の秋元家に伝来した。

 


 
特別重要刀剣《刀 無銘 伝長義》  

特別重要刀剣《刀 無銘 伝長義》〈かたな むめい でん ながよし〉
南北朝時代(14世紀)
刃長71.1cm 茎長20.5cm

南北朝時代の長船派は、正系の兼光のほか、この長義、元重、盛景などが活躍している。南北朝時代は相州物の影響が各地で見られるが、備前物のなかで最もそれを強く受けているのが長義である。長義の兄とされる長重には、沸の強いのたれ刃の短刀があり、相州物の影響が強くうかがわれるところから、長重の作風を倣ったとする見方もある。

長義には太刀、短刀ともにあるが、在銘の太刀は少なく、そのほとんどは大磨上無銘である。鍛えは兼光系よりも地鉄が強く、また刃文が大模様となって高低差があり、帽子も乱れ込んで突き上げて尖って返るなどの特徴がある。この刀も、大互の目と丁子を交えた刃文に、沸がよくついて典型的な作風を示す。備後福山藩の阿部家に伝来した。

 


 

国宝《太刀 銘筑州住左》(号江雪左文字)

国宝《太刀 銘筑州住左》(号江雪左文字)

  国宝《太刀 銘筑州住左》(号江雪左文字)

国宝《太刀 銘筑州住左》(号江雪左文字)〈たち めい ちくしゅうじゅうさ(ごう こうせつさもんじ)〉
南北朝時代(14世紀)
刃長78.2cm 茎長21.7cm

左は、実阿の子で、筑前隠岐の浜(現在の福岡県福岡市博多区)に住み、左衛門三郎の「左」を銘とした刀工とされる。左以前の良西、西蓮、実阿といった筑前刀工とは対照的に、左の鍛え肌は、小板目に地景を交えた美しいもので、また、刃文ものたれを主調として沸が厚くつき、匂口も明るい。

本作は少し磨上げられており、かつては二尺九寸ほどの長い太刀であった。身幅が広く、長寸で、鋒が延びたこのような姿の太刀は南北朝時代に流行した。左の銘を記した作はほとんどが短刀であり、太刀はこの作品一口が残るだけである。江雪の号は、北条氏政の宿老であった板部岡江雪斎が所持したことに由来する。のちに徳川家康に献上され、さらに紀州徳川家の祖となった頼宣に与えられ、同家に伝来した。付属する黒塗鮫革包打刀拵も、桃山時代の拵の作例として貴重である。

 


 

国宝《短刀 銘左/筑州住》(号じゅらく(太閤左文字))

国宝《短刀 銘左/筑州住》(号じゅらく(太閤左文字))

国宝《短刀 銘左/筑州住》(号じゅらく(太閤左文字))

国宝《短刀 銘左/筑州住》(号じゅらく(太閤左文字))〈たんとう めい さ/ちくしゅうじゅう(ごう じゅらく(たいこうさもんじ))〉 
南北朝時代(14世紀)
刃長23.6cm 茎長8.8cm

左が得意とした短刀は、姿の良さが特徴で、とりわけ物打ちからふくらへかけての線が美しい。小板目に、こまかな地景が入って冴えた地鉄、また、のたれを主調とした焼刃が白く冴えていることなど、姿と刃文のバランスは特に優れており、本作は、左の短刀の特徴をもっともよく示しているといえよう。

本阿弥光徳が豊臣秀吉の蔵刀を絵図にした光徳刀絵図(埋忠寿斉本)に、この短刀が掲載され、「同(御物) 志ゆらく 七寸八分半」と注記がされていることから、じゅらく(聚楽)の号があったことがわかる。現在は太閤左文字の名で呼び慣らわされているが、これは昭和につけられた名と思われる。秀吉から徳川家康に贈られ、秀忠の指料となり、その後、遠州浜松の井上家に伝わった。江戸時代後期の作とみられる、金襴包合口腰刀拵が付属する。

 

 

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