
次代につなぐ 名勝 鞆公園
医王寺から見る瀬戸内の風景は今も昔とほとんど変わりません。ゆるやかに稜線が伸びる仙酔島の手前に、小さな弁天島と皇后島が浮かんでいます。この景観を守るため仙酔島が国の名勝に指定されたのは、今から100年前の1925(大正14)年でした。
1922(大正11)年、「史蹟名勝天然紀念物保存法」により天橋立など9件が初めて国の名勝として指定されました。仙酔島の指定はその3年後ですが、1923(大正12)年発行の沼隈郡誌にはすでに「同島は近く内務省指定の保存地たるべし」と書かれています。当初は仙酔島の一部のみでしたが、3年後には仙酔島すべてと弁天島など鞆沖の5つの島が追加指定されています。
名勝指定に先立ち、古来より風光明媚な場所として知られていた仙酔島は、人々が集い楽しむ公の遊覧地(現在の公園)に指定されていました。島に渡る渡船場や展望台に上る登山道、休憩所などが整備されたのはこの頃です。
1951(昭和26)年、沼隈半島の南端にある阿伏兎岬の絶景が追加指定され、鞆公園は現在の形になります。
この100年の間には仙酔島の海食門が崩落するなど、長年の波風の影響により損なわれた景色もあります。自然の営みによって生み出された景観は変化していきますが、先人が守りたかった風景をつなぐ努力が続けられています。
1976(昭和51)年、医王寺から見た仙酔島
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