
福山市登録文化財 その3 備後国分寺本堂諸尊像群
福山市登録文化財制度が創設され2026(令和8)年3月26日に4件が初登録されました。地域の貴重な歴史文化資源を保存・活用することを目的にしています。
神辺町下御領に所在する唐尾山備後国分寺は、奈良時代に国家鎮護のため各国におかれた備後国の国分寺です。周辺には縄文時代から中世にかけての集落遺跡である御領遺跡が存在し、古代山陽道に程近く備後地方の中心的な場所でした。
1673(延宝元)年、当地を襲った大水害により、備後国分寺の本堂は残ったものの、本尊をはじめとする諸尊がことごとく押し流される甚大な被害に遭いました。その後、国分寺の住持となった快範上人の嘆願により、福山藩第四代藩主・水野勝種の裁許を受け、伽藍(がらん)の再建が始まりました。本堂の諸尊像群についても復興がなされ、1692(元禄5)年に造像されたことが、快範上人による「国分寺中興基録(こくぶんじちゅうこうきろく)」並びに「本尊幷諸尊造立仕様好目録(ほんぞんならびにしょそんぞうりゅうしようこうもくろく)」に残っています。記述の中には京都の仏師に送った造像の仕様書があり、本尊の薬師如来坐像については柔和な様相に、脇侍(わきじ)の日光・月光菩薩については玉(ぎょく)をたくさん付けるようにと装飾に至るまで事細かく指定されており、復興へ懸ける上人の願いや祈りが伝わってきます。
そうして造像された薬師如来坐像をはじめ、脇侍の日光菩薩像、月光菩薩像など、計四十三尊像が、現在も備後国分寺の本堂に安置され深く尊崇されています。現存している仏像と、仏像の造像当時の状況がわかる文書が揃って伝来するのは大変貴重で、江戸時代前期の備後地方における仏像造立の実態や当時の災害の様子がわかることから新たに市登録文化財になりました。
<備後国分寺>
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