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第8回「ふくやまピース・ラボ」が開催されました!

印刷用ページを表示する 掲載日:2021年11月5日更新

≪2021年度≫

第8回「ふくやまピース・ラボ」を開催しました!「福山空襲~8月8日に体験したこと~」

 10月24日(日曜日),第8回「ふくやまピース・ラボ」は「ふくやまピース・ナビ」と合同で開催しました。
 福山空襲体験者であり,現在も「ふくやまピース・ナビ(平和継承に取り組む市民団体)」で福山空襲の証言活動を行っている,森近 静子さんから「福山空襲~8月8日に体験したこと~」というテーマで講義を受けました。

日時 : 2021年(令和3年)10月24日(日曜日)  10時00分から12時00分
場所 : 福山市人権平和資料館,備後遺族会館
内容 : 講義「福山空襲 ~8月8日に体験したこと~」
講師 : 森近 静子さん

◆講義「福山空襲~8月8日に体験したこと~」(講師:森近静子さん)

森近さん講義の様子講義を受ける様子
 講義では,76年前の8月8日,福山への空襲で体験されたことや当時の暮らしについてお話をしていただきました。

◇福山空襲当夜の我が家
 1945年(昭和20年)8月8日の午後10時すぎ,空襲警報の知らせで,森近さんの家族7人は家の敷地内の防空壕へと駆け込んだ。森近さんの父親は,家族が防空壕に入ったのを見届けると,近所のみなさんと水の入ったバケツを持って集会所へと急いだ。ところが,すぐに舞い戻ってきて,防空壕に滑り込んできた。
 それと同時に「シュー,シュー,シュー,ズドン」というものすごい物音がした。焼夷弾が落ちた時のあのすさまじさは言葉で表すことができず,生きた心地がしなかった。外から近所の人が「森近さん!大丈夫か!」と叫ぶ声を耳にした時「ああ,私たちは助かったのだ」とお互いに顔を見合わせほっとした。一睡もしないで夜明けを待ち,翌朝,森近さんがお姉さんと2人で外に出てみると,森近さんの家の防空壕の栗の板が斜めにさけ3メートル先の田んぼの中に突きささっていた。その様子は爆弾の凄まじさを物語っているようで身も心も縮み上がる思いがした。

◇栗の木の板で作られた防空壕
 森近さんの家の防空壕は,丈夫な栗の木の板で作られたものだった。森近さんのお父さんが家族を守るために作られたもので,丈夫な栗の原木を自らもらいに行き,製材所へ運び,加工してもらった板を使っていた。

◇当時のくらし
 森近さんに手作りの蚊帳や防空頭巾を準備していただき,どのようなときに使われていたのかお話ししていただきました。実際に見ることで,当時の様子をイメージすることができました。

◇森近さんよりメッセージ
 私たちはあの時の苦しみや悲しみを忘れることはできない。このことをきちんと伝承していくことが大切だと思います。
 優しい心を,平和な社会を,世界を,親から子どもへ,子どもから孫へと伝承してもらいたい。

 ◆動画(YouTube) ※ 2020年度撮影

森近さんイメージ

「福山空襲 ~8月8日に体験したこと~」  語り手:森近 静子さん
   クリックすると動画(YouTube)に移動します。

◆参加者の感想 

・(お話しを聞けるのは)貴重な経験だと感じた。
・はじめて蚊帳を見ることができた。言葉では聞いたことがあったけれども,見たことがないので想像しづらかったが,今回見ることができてとても分かりやすかった。
・自分たちが伝えていかないといけないと,伝えられたようだった。