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特別史跡廉塾ならびに菅茶山旧宅保存活用計画を掲載します
印刷用ページを表示する 掲載日:2019年12月4日更新
特別史跡廉塾ならびに菅茶山旧宅保存活用計画とは
特別史跡廉塾ならびに菅茶山旧宅を適切に保存し,次世代へと確実に継承していくため,史跡の持つ「本質的価値」(歴史的役割等)と「構成要素」(廉塾・付属施設、茶山旧宅、祠堂、米蔵・納屋・馬小屋・物置、書庫など)を明確化し,それらを適切に保存・活用していくための方向性,方法,現状変更等の取り扱い基準などを定めたものです。
特別史跡廉塾ならびに菅茶山旧宅の沿革
廉塾ならびに菅茶山旧宅は、菅茶山が18世紀後半に創始した私塾に始まります。当初は金粟園(きんぞくえん)、現在の場所に移ってからは黄葉夕陽村舎(こうようせきようそんしゃ)または閭塾(りょじゅく)と呼ばれました。後に福山藩の郷校となる塾舎は廉塾、正式には神辺学問所と呼ばれ多くの塾生を輩出しました。塾主を務めた茶山の旧宅とともに、茶山が実践した教育、学問、文芸のあり方を今日に伝える遺跡です。
当時の塾舎・塾関係施設や茶山旧宅が現存することから、1934(昭和9)年に史跡(国指定、以下同様)、1953(昭和28)年に特別史跡の指定を受けており、当時の教育環境を現在に伝える全国唯一の遺跡であることから、多くの見学者が訪れています。