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福山市のあゆみ

印刷用ページを表示する 掲載日:2019年4月1日更新

古代~市制施行

 古代の福山は、現在の市の中心部のほとんどが海の中であり、芦田川流域は新市町、府中市あたりまで深く入り込んだ海で、「穴の海」と呼ばれていました。
 古くから潮待ち風待ちの港として栄えた鞆の浦は、瀬戸内海の中央、沼隈半島の先端に位置し、万葉集でも大伴旅人の歌にも詠まれました。
 平安のころから芦田川に三角州が形づくられ、鎌倉時代には、今は芦田川の中洲に眠る草戸千軒町が明王院の門前町として栄えていました。
 江戸時代に入り、1619年(元和5年)、水野勝成が備後10万石の領主となり、3年後に福山城を築き、地名を「福山」と名づけました。その後、芦田川の河口の三角州の干拓や、日本で5番目に古い水道をひくなど城下町としての整備を進めました。
 1889年(明治22年)の市町村制により福山町となり、地方行政の中心的役割を果たし、1891年(明治24年)山陽鉄道開通などを契機にまちの基盤が形成されました。

中世福山湾の推定海岸線と草戸千軒町遺跡の位置図明治末期ごろの入り江と福山城
中世福山湾の推定海岸線と草戸千軒町遺跡の位置(「福山市史 原始から現代まで」より引用)明治末期ごろの入り江と福山城

市制施行~戦災 

 1916年(大正5年)7月1日、全国で73番目、県内では広島、尾道、呉に次いで4番目に市制を施行し、福山市が誕生しました。当時の人口は32,356人、面積は5.8平方キロメートルでした。市制施行後、当時の市域の9割が被害にあった大水害などの困難を乗り越え、上水道の敷設、芦田川の改修などに取り組みました。
 1933年(昭和8年)に隣接10ヵ村、1942年(昭和17年)に2ヵ村との合併により市域を拡大しましたが、1945年(昭和20年)8月8日、戦災により市街地の8割を焼失し、多くの死傷者が出ました。

市制施行記念はがき大正時代の市街地
市制施行記念はがき大正時代の市街地

 

戦災復興~備後の中核都市

 戦災による大きな被害も、市民のおう盛な復興意欲と郷土愛によって、翌年から戦災復興事業として土地区画整理事業に着手し、現在の近代的な市街地が形成されました。1956年(昭和31年)には隣接10ヵ町村と合併し、国道などの基盤整備を進めて、山陽・山陰と四国を結ぶ産業・文化・交通の要衝都市として急速に成長しました。
古くから地場の繊維産業を基盤としてきましたが、1961年(昭和36年)、単一工場としては世界最大といわれる日本鋼管福山製鉄所の立地決定により、重工業主体の産業都市へと転換していきました。1964年(昭和39年)には備後工業整備特別地域の指定も受け、1966年(昭和41年)の製鉄所操業開始とともに関連企業も進出し、瀬戸内海の臨海工業都市として脚光を浴びることとなりました。
 また、近隣地域との一体的発展をめざして、1962年(昭和37年)に深安町と、1966年(昭和41年)に松永市と、1974年(昭和49年)に芦田町と、1975年(昭和50年)に駅家町・加茂町と合併し、市域・人口も拡大・増加し、名実共に備後地域における中核都市となりました。

1947年福山産業復興博覧会1961年福山駅前風景1975年山陽新幹線開通
1947年福山産業復興博覧会1961年福山駅前風景1975年山陽新幹線開通

今,福山は

 1980年代には都市化の進展にあわせて、道路・公園・清掃工場などさまざまな都市機能を整備しました。また、1988年(昭和63年)のふくやま美術館や、1994年(平成6年)のふくやま芸術文化ホール「リーデンローズ」、1995年(平成7年)の緑町公園屋内競技場「ローズアリーナ」、さらに1999年(平成11年)にはふくやま文学館の開館など文化・スポーツ面の施設整備、そして2000年(平成12年)のリサイクル工場・プラザ、2001年(平成13年)の福山すこやかセンターの開館、2004年(平成16年)のごみ固形燃料工場の本稼働など環境・保健福祉面の施設整備、1993年(平成5年)の山陽自動車道の開通や広島空港の開港など高速交通基盤の整備も進展しています。
 1993年(平成5年)には福山地方拠点都市地域の指定を受け、さらに1998年(平成10年)4月には中核市へと移行する中で、移譲された事務権限を活用し、市民サービスの向上と自主・自立のまちづくりを進めています。また、福山地区消防組合や福山・府中広域行政事務組合の設立など、広域的な視点に立つとともに、福山市を中心とした中核都市圏の形成に向け、「50万都市」が有する都市機能の整備をめざし、さまざまな事業に取り組んでいます。
 2003年(平成15年)2月に内海町・新市町、2005年(平成17年)2月に沼隈町、2006年(平成18年)3月に神辺町と合併を重ね、今日では、市域518.07平方キロメートル、人口約47万人を擁する、中国地方では4番目の都市となっています。
 2011年(平成23年)4月に開学した福山市立大学は、地域に支えられながら,地域の発展を探究すると同時に地域の発展に寄与する人材育成を目ざす公立大学です。教育学部と都市経営学部の2学部からなる男女共学の4年制大学で、市民に開かれた大学として附属図書館(小丸法之記念館)や学生食堂を一般市民にも開放しています。また、3つの機能((1)幅広い職業人養成 (2)地域の生涯学習機会の拠点 (3)社会貢献〈地域貢献、産官学連携、国際交流等〉)に重点を置くことによって、大学としての個性と特色を明確にしています。
 2015年(平成27年)2月に、備後圏域の6市2町(福山市・三原市・尾道市・府中市・世羅町・神石高原町・笠岡市・井原市)の中心となって、圏域全体の人口減少対策や経済成長などの連携を進める「連携中枢都市宣言」を行っています。
 このように都市の規模が拡大していく中で、市民の間に根付いたのが、現在の協働のまちづくりとなっている「ばらのまちづくり」です。「ばらのまちづくり」は、1956年(昭和31年)に「荒廃したまちに潤いを与え、人々の心に安らぎを取り戻そう」と、現在のばら公園付近の住民と行政が協働して約1,000本のばら苗を植えたことから始まりました。戦後復興の希望をばらに託した「ばらのまちづくり」は市民主体のまちづくりへと発展し、2016年(平成28年)5月21日の「ばらの日」に「100万本のばらのまち」を達成しました。
 2016年(平成28年)7月1日に市制施行100周年を迎えました。これまでの100年にわたる福山の歴史への感動、今の福山をつくりあげた先人たちへの感謝、そして新たな未来を創造する夢、この「感動・感謝・夢」を育み、飛躍と希望に満ちた次の100年へつなげています。
 そして、次なる100年への新たなまちづくりに向け、人口減少社会にあっても、子どもから高齢者まで誰もがいきいきと暮らせる「活力と魅力に満ちた輝くまち」の実現をめざしています。

福山市の歴史(年表)についてはこちら

ローズアリーナふくやま文学館ごみ固形燃料工場
ローズアリーナふくやま文学館ごみ固形燃料工場
福山駅前(2008年頃の様子)福山市立大学100万本のばらのまち達成
福山駅前(2008年頃の様子)福山市立大学「100万本のばらのまち」達成
福山市市制施行100周年記念式典第2回福山博覧会
福山市市制施行100周年記念式典第2回福山博覧会

2019年4月1日に「今,福山は」に追記をしました。