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昔の道具について 「食関係」

印刷用ページを表示する 掲載日:2010年4月10日更新

氷冷蔵庫(こおりれいぞうこ)

氷冷蔵庫 上段に氷、下段に食べ物を入れて使用する電気の無い時代に発明された冷蔵庫で、木製の箱にブリキ板が張ってあり、冷気が外へ逃げない仕組みになっています。上段と下段はつながっていて、上段に入れた氷の冷気が下段へと降り、その冷気を利用して食べ物を冷やし保存しました。
 日本では明治末に発売され、1955(昭和30)年頃の電気冷蔵庫の一般家庭への普及により、次第にその姿を見ることは無くなりました。

蝿帳(はいちょう)

蝿帳

 木製の箱型食器入れで、食べ残しを入れたままの食器ごと収納することができ、食べ物に蝿が集るのを防ぎました。また、前面扉部と両側面の3方は網になっており、空気がこもらず、食べ物を腐りにくくする効果がありました。
冷蔵庫の普及により、次第に使われなくなり、今ではほとんどその姿を見かける事は無くなりました。

※帰宅の遅い人の食事や、食べ残しを食卓で直接被せる網の事も蝿帳といいますが、そちらは一般的には蝿不入(はえいらず)と言われ区別されていました。

箱膳(はこぜん)

箱膳

 約8寸(約24cm)~1尺(約30cm)四方の個人用食器収納箱及び食事台で、箱の中に収納した食器を蓋を開けて取り出し、その蓋を裏返して膳として使用しました。
子どもの箸揃えの儀礼の際、個人用として購入し、嫁入りの際には持参するのが一般的でした。これは、食器はそれぞれ個々で所有するという日本的な考え方が反映しています。大正に入り、ちゃぶ台の普及とともに次第に使用されなくなりました。

※写真のように引き出し付きよりも、無いものの方が多かったようです。

ちゃぶ台(卓袱台)

ちゃぶ台

 食卓の一種で、高さ1尺(約30cm)弱、幅は3尺(約90cm)に満たない程度で、座って使用しました。主流は円形で、4本の脚は折りたためるものが多く、蒲団を敷く時など邪魔な時には、脚をたたんで部屋の隅にしまうことができました。
明治に作られ、大正になって封建的と考えられた箱膳の代替品として勧められ普及しました。これにより、それまでの個々での食卓から、近代的な家族揃っての食卓へと変わり、食事は家族団らんで行うものとなりました。そして、戦後になって西洋文化の流入で、現代の椅子に座って使用する方形の食卓が普及し、次第にその姿を見かけなくなりました。

※写真のちゃぶ台は、中央がくり抜いてあり、蓋を外して中に七輪を入れて鍋料理などができました。

羽釜(はがま)・飯炊釜(めしたきがま)

羽釜・飯炊釜 胴の周囲に鍔(つば)がある炊飯用の鉄製釜で、竃(かまど)の口に鍔をかけ、据え置いて使用しました。他用途の釜に比べ、鍔から上部が大きく吹きこぼれしにくい構造になっており、さらにこれに分厚い木蓋(きぶた)を乗せ、ご飯を蒸らす仕組みになっています。平安時代にはすでに鉄製釜は作られており、熱効率を高め、すすを防ぐための鍔が付いたのは、製鉄技術が向上した江戸時代になってからのことです。昭和30年代の電気釜の普及とともに、次第に使用されなくなりました。
 炊飯器の無い時代の飯炊きは、水加減・火加減が非常に重要で、少しの誤差でお粥(かゆ)やオコゲになってしまいました。

飯櫃(めしびつ・いいびつ)

飯櫃 一般的にお櫃(ひつ)と呼ばれ、炊き上がったご飯を釜から移し、保温したまま食膳に運ぶための円形の蓋付木箱で、直径1尺(約30cm)前後のものが多く、残りご飯を保存するのにも使用されました。香りの薄いヒノキ材が一般的で、水気を吸収させるために白木のまま使われました。冠婚葬祭用には漆塗りのものもあります。
 夏場はご飯が腐りやすいため保存には飯櫃を使わず、竹製の飯籠(めしかご)に移し、軒下などに吊るしました。

飯籠(めしかご)

飯籠 夏場の暑い時期に、炊いたご飯を腐らせないように保存しておく竹製の籠で、飯櫃(めしびつ)と同じ直径1尺(約30cm)前後の大きさで、通気性をよくするために笊目(ざるめ)に編まれたものが一般的でした。
 食べ残しをこの籠に入れ、軒下の風通しのよい所へ吊るしたり置いたりして使用しました。吊り手が無く、置く専用のものや、蓋の無いものもあります。

イズメ・イズミ・ねこぼこ

いづめ・ねこぼこ ご飯を保温するための藁(わら)で編んだ蓋付の籠で、炊き上がったご飯を釜から飯櫃(めしびつ)に移し、それをそのままこれに入れて保温しました。炊飯器の無い時代にご飯を保温し、少しでも温かくおいしく食べるために考えられました。

七輪(しちりん)及びほうろく

 
七輪及びほうろく

七輪

持ち運びのできる小型の炉で、一般的には土製です。中で炭をおこし、上に鍋などを置いて調理しました。七厘とも書き、七厘分の価格の炭で事足りたことから、この名がついたという説があります。江戸時代の瓦製のものが最初といわれています。

ほうろく

七輪や竃(かまど)の上で、豆類や胡麻(ごま)などを煎るための底の浅い素焼きの鍋で、粗末なつくりのため衝撃にはもろいが、直火にあててもひび割れることがなく、炙ったり、焼いたりする器として台所には欠かせないものでした。

※写真のように組み合わせて使用しました。

斗枡(とます)及び斗掻(とかき)

 
斗枡及び斗掻

斗枡

1斗(約18リットル)を計量するための方形の木製箱で、大正になり法令で2升(約3.6リットル)以上の計量に方形の枡を使うことが禁じられ、以後円筒形が主流になりました。

斗掻

計量のために枡に盛られた米などの穀物類の余分な盛り上がりを、掻き均すために使われた円柱形の木製棒で、樫(かし)や桐で作られたものが多く、斗棒(とぼう)とも呼ばれました。

 
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